ご本尊様ご本堂

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五大明王

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2010年7月25日日曜日

【仕事の岐路に立った時に相談をする】

Sです。
先日、B氏のところに蝋燭の件である人(T氏)と言って来ました。
私は、B氏にT氏はどんな感じですか?と尋ねました。
B氏は霊視を始めてて、性格を的確にしてきした上で、「今決断しようとしていることは、今しない方ががいい」と言いました。
「会社を辞めることや、次の仕事があっても今すべきことではないと」言いました。
私は、びっくりです。
T氏の性格や、仕事における立場は推察していましたが、T氏が会社を辞めることを考えているとは思いもしませんでした。
B氏は、引き続き「普段は温厚ではあるけど、結構気が強くて短気で激情型だから、今決断使用と思っているけどやめなさい、やめるのであればいい仕事のオファーが来てからしないと大変」と断言しました。
そして、T氏は本当に会社を辞めることを考えていたのですから、T氏は本当にびっくりしていました。
B氏は、引き続きT氏にたたみかけます、「僕のところに相談に来る人は、みんな会社を辞めてしまっているから、来るのが遅すぎた人がほとんどです、あなたは間に合った」と言ったのです。
T氏の驚きは半端ではありませんでした。
周りの人間は誰も知らないことでした。
偶然に、私がB氏とT氏を会わせる前に、偶然、T氏の上司の性格、そしてT氏の対応や、T氏の得意先へのアドバイスをしていたときでしたので、私もびっくりです。
そして、T氏にB氏は家族の話もしました。
T氏の子供に数年後事故にあう可能性があると言うのです。
B氏は、交差点で自転車に乗って事故にあう様子が見えるといいました。
しかも、自転車の色もほぼ、現在子供さんが乗っている自転車の色を指摘した上での話でした。
今更ながら、B氏の力にびっくり、どっきり、神様仏様です。

Sです、システムサポートのSからの報告でした。

【写真から見える病気】

Cです。
昨日に引き続き、B氏の裏稼業のお話です。
先週仕事で出張中、ついある方に(今回W氏と呼びます)B氏の存在を話してしまいました。
すると、健康に非常に悩まれており、自分の姿をすぐさま携帯のメールでB氏に送って欲しいと頼まれたので、わざわざ同行中の車を止めて写真を撮り携帯で送りました。
すぐさまB氏より電話があり、W氏の手足の異常があり、肝臓あたりに変な感じが見え、昔からの病気を繰り返す方と返事がありました。
その事を伝えると、手足が異常に冷えて、大変悩んでいるとの事、そして昔から十二指腸潰瘍を繰り替えし患っているとW氏は、私に告白をしました。
すぐさま、B氏に会うことになりました。
B氏にWさんを引き合わすと、写真を見た限りでは、手足がと、おなかあたりに光が見えたといい、直にW氏を霊視してもらうと、本人の性格から現在の仕事での対応の仕方と的確に指摘してゆきました。
そして、W氏の病気は霊的現象ではないが、額のあたりの針治療で治るといいました。
Wの考えている新たな仕事に対しての対応等も含め、明確に状況を応えていました。
実は、W氏の悩みはこれだけではなく、再度B氏にお会いすることになりました。
とりあえず、B氏の裏稼業通常の病気アドバイス編でした。

2010年7月18日日曜日

【ご神体抜きを失敗した石】

Bです。
本日、お参りに来てくださった方の話をします。

石にたずさわるお仕事をされている方で、お客さんから家の改装を行うので石造を撤去してとの依頼があり、撤去したそうです。
その依頼主曰く、先代が庭を掘り起こしていると、その石造が出てきたそうです。
なので、先代はその石造をお祭りしていたそうですが、先代がいなくなってお祭りしなくなってどこかのお坊様からご神体抜きをしていただいたそうです。
が、しかし、ご神体抜きができていなかったので、大変なことに!!
でも、一応納める事ができました。
石造や仏像色々あると思います。
先祖代々受け継がれているものは、しっかり
子々孫々守っていってもらいたいものです。
お願いするばかりじゃだめですよ。
自分のできる事を頑張ってください。
B氏から送られてきた写真です。
問題の石仏の一部分です。
数珠で結界をはっているとのことです。(B氏から)

2010年7月11日日曜日

【霊視:佐用姫伝説(唐津 名護屋城趾)】

みなさんこんばんわ!
Cです。
弊立神社編で盛り上がった、Dさんの霊障を取り除く為、B氏が唐津市鎮西町名護屋城にある、名護屋城址にやってきたとき、私のご先祖様である、松浦佐用姫がでてきた話しはすでにお話を聞かれていますよね。
それから約1ヶ月経ちまして、ようやく私は、この地に家族でくることができました。

B氏から、佐用姫が待っているという場所に来た私は、明らかに心拍数があがり、興奮気味でした。
名護屋城址に登るやいなや、涙がでて、心のなかから、ご先祖様と叫びました。

7月11日は大雨と聞いており傘は必需品でしたが、薄日が差すほどに回復し、まるで佐用姫が守っていただいているようでした。

天守台跡から見渡す風景は、晴れていれば遠く対馬が見えるかなというところです。

B氏からあらかじめ、この場所に来たら、よくお参りをしておいてくださいと言われておりましたので、このまわりの城壁から数カ所お参りをいたしました。
写真では見えませんが、結構風が強く。
城壁の上からでは子供は危ないなと言う場所です。

そこで、般若心経をあげようとしたところ
それは、それは、強い風が吹き上げ、石垣から私に吹き上げる風は、まるで、台風そのもので、私は立っているのがやっとでした。

なにか、Dさんに起こった霊障の原因となった。
Z氏の間違った、お祓いの仕方にたいしての反発なのかなと思ったところです。

風の強さは、筆舌に尽くしがたくても写真では穏やかです。

この場所に佐用姫がいらっしゃるのはわかるような感じがします。

ここから見える風景は、古代から日本と朝鮮半島を行き来する船がはっきりと見渡せる場所です。

松浦佐用姫は、私の1500年前のご先祖様です。
松浦佐用姫の血は、脈々と私の体に流れています。
この地を去るには忍びがたく、多少センチになりながら、涙を浮かべ帰ってきました。
帰りに、唐津市内を観光して帰ることにしましたが、実は私にはゆく場所がもう一つありました。
それは、唐津市内にある、鏡山の麓です。
鏡山の麓には、恵日寺があり、そこに大伴狭手彦(松浦佐用姫の夫)が佐用姫が亡くなった事を嘆き、ある寺に、佐用姫の像を奉納したと言う縁起を持つ寺です。

私は、この場所が松浦佐用姫悲恋伝説の始まりの場所であり、大伴狭手彦と松浦佐用姫の息子、大伴牟禰奈里の生まれた場所だと思っています。
B氏の霊視で、鏡山の麓に松浦佐用姫は住んでおり、大伴狭手彦は佐用姫の元に通ってきた。
(当時は、妻の元へ夫が通う習慣がありました。)
このお寺でお参りをして、帰りましたが、もう少しゆっくりと時間がほしいと思ったものでした。

2010年7月7日水曜日

【もう少し早く会えば、癌で闘病】

こんばんわ、Bです。
どうしても、助けたい人がいます。

それは、5月にお会いした方で、病気で苦しんでました。 

その病気も、やはり癌でそれもかなりの進行状態でした。 不動の剣で切り払う時は背中中が光っていて、これは助からないかもと思いました。

でも、仏壇の前でお経をあげてるとご先祖様が、二人出て来れれてその方の治療法だとか、今後どのようにすれば最善なのか、いろいろと教えてもらいました。

それでも、助かる確率は、五分五分と言われました。
実際この件で相談を受けたのが3月ぐらいでした。その時にすぐ動いていれば、8割ぐらいの確率で助かっていたみたいです。

残念で仕方がありません。

病気もそうですけど、霊障もいかに早く動くかが大事です。

今は、なんとか命だけは取り留めています。
後の命は、家族次第だそうです。
小さいお子さんもいるので何とか頑張ってほしいです。

2010年7月3日土曜日

【災難を避けるお告げ】

管理人です。
B氏の裏稼業をうけた方のコメントです。

こんばんわ、先日からありがとうございました。
私の思ってる事、悩んでる事、今までにお世話になったどんな先生よりもよかったです。
本当に、本当にありがとうございました。
 
よかったですね。
喜んでいただけることがなによりですね。
今から、ご先祖様を大切に思い、そして敬っていただきたいですね。

ところで昨日C氏は、C氏の身の危険を察知されたB氏から連絡を受け、無事に難を逃れたとのことです。

昨日C氏は新宿歌舞伎町におり、「B氏から、”ご先祖様が繁華街にいると事件に巻き込まれる”と言われ、C氏に連絡を取ったようです。

C氏は、繁華街にいることを知らされること自体、不思議な体験だと言っておりました。

ご先祖様、神様、仏様、B様ですね。

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