みなさんこんばんわ!
Cです。
弊立神社編で盛り上がった、Dさんの霊障を取り除く為、B氏が唐津市鎮西町名護屋城にある、名護屋城址にやってきたとき、私のご先祖様である、松浦佐用姫がでてきた話しはすでにお話を聞かれていますよね。
それから約1ヶ月経ちまして、ようやく私は、この地に家族でくることができました。
B氏から、佐用姫が待っているという場所に来た私は、明らかに心拍数があがり、興奮気味でした。
名護屋城址に登るやいなや、涙がでて、心のなかから、ご先祖様と叫びました。
7月11日は大雨と聞いており傘は必需品でしたが、薄日が差すほどに回復し、まるで佐用姫が守っていただいているようでした。
天守台跡から見渡す風景は、晴れていれば遠く対馬が見えるかなというところです。
B氏からあらかじめ、この場所に来たら、よくお参りをしておいてくださいと言われておりましたので、このまわりの城壁から数カ所お参りをいたしました。
写真では見えませんが、結構風が強く。
城壁の上からでは子供は危ないなと言う場所です。
そこで、般若心経をあげようとしたところ
それは、それは、強い風が吹き上げ、石垣から私に吹き上げる風は、まるで、台風そのもので、私は立っているのがやっとでした。
なにか、Dさんに起こった霊障の原因となった。
Z氏の間違った、お祓いの仕方にたいしての反発なのかなと思ったところです。
風の強さは、筆舌に尽くしがたくても写真では穏やかです。
この場所に佐用姫がいらっしゃるのはわかるような感じがします。
ここから見える風景は、古代から日本と朝鮮半島を行き来する船がはっきりと見渡せる場所です。
松浦佐用姫は、私の1500年前のご先祖様です。
松浦佐用姫の血は、脈々と私の体に流れています。
この地を去るには忍びがたく、多少センチになりながら、涙を浮かべ帰ってきました。
帰りに、唐津市内を観光して帰ることにしましたが、実は私にはゆく場所がもう一つありました。
それは、唐津市内にある、鏡山の麓です。
鏡山の麓には、恵日寺があり、そこに大伴狭手彦(松浦佐用姫の夫)が佐用姫が亡くなった事を嘆き、ある寺に、佐用姫の像を奉納したと言う縁起を持つ寺です。
私は、この場所が松浦佐用姫悲恋伝説の始まりの場所であり、大伴狭手彦と松浦佐用姫の息子、大伴牟禰奈里の生まれた場所だと思っています。
B氏の霊視で、鏡山の麓に松浦佐用姫は住んでおり、大伴狭手彦は佐用姫の元に通ってきた。
(当時は、妻の元へ夫が通う習慣がありました。)
このお寺でお参りをして、帰りましたが、もう少しゆっくりと時間がほしいと思ったものでした。
Cです。
弊立神社編で盛り上がった、Dさんの霊障を取り除く為、B氏が唐津市鎮西町名護屋城にある、名護屋城址にやってきたとき、私のご先祖様である、松浦佐用姫がでてきた話しはすでにお話を聞かれていますよね。
それから約1ヶ月経ちまして、ようやく私は、この地に家族でくることができました。
B氏から、佐用姫が待っているという場所に来た私は、明らかに心拍数があがり、興奮気味でした。
名護屋城址に登るやいなや、涙がでて、心のなかから、ご先祖様と叫びました。
7月11日は大雨と聞いており傘は必需品でしたが、薄日が差すほどに回復し、まるで佐用姫が守っていただいているようでした。
天守台跡から見渡す風景は、晴れていれば遠く対馬が見えるかなというところです。
B氏からあらかじめ、この場所に来たら、よくお参りをしておいてくださいと言われておりましたので、このまわりの城壁から数カ所お参りをいたしました。
写真では見えませんが、結構風が強く。
城壁の上からでは子供は危ないなと言う場所です。
そこで、般若心経をあげようとしたところ
それは、それは、強い風が吹き上げ、石垣から私に吹き上げる風は、まるで、台風そのもので、私は立っているのがやっとでした。
なにか、Dさんに起こった霊障の原因となった。
Z氏の間違った、お祓いの仕方にたいしての反発なのかなと思ったところです。
風の強さは、筆舌に尽くしがたくても写真では穏やかです。
この場所に佐用姫がいらっしゃるのはわかるような感じがします。
ここから見える風景は、古代から日本と朝鮮半島を行き来する船がはっきりと見渡せる場所です。
松浦佐用姫は、私の1500年前のご先祖様です。
松浦佐用姫の血は、脈々と私の体に流れています。
この地を去るには忍びがたく、多少センチになりながら、涙を浮かべ帰ってきました。
帰りに、唐津市内を観光して帰ることにしましたが、実は私にはゆく場所がもう一つありました。
それは、唐津市内にある、鏡山の麓です。
鏡山の麓には、恵日寺があり、そこに大伴狭手彦(松浦佐用姫の夫)が佐用姫が亡くなった事を嘆き、ある寺に、佐用姫の像を奉納したと言う縁起を持つ寺です。
B氏の霊視で、鏡山の麓に松浦佐用姫は住んでおり、大伴狭手彦は佐用姫の元に通ってきた。
(当時は、妻の元へ夫が通う習慣がありました。)
このお寺でお参りをして、帰りましたが、もう少しゆっくりと時間がほしいと思ったものでした。
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